1. はじめに──英虞湾から産業が生まれる瞬間を、もう一度見たい英虞湾(あごわん)は、世界で初めて養殖真珠産業が生まれた海です。100年以上前、この湾から生まれた真珠が、世界の宝飾産業を変え、地域に新しい産業と雇用を生み出しました。その海でいま、新しい挑戦をしようとしている。その「過去・現在・未来」をつなぐ物語。2. 英虞湾と真珠産業の100年史 ─ 日本の海洋産業の原点■ 1905年:世界初の真円真珠養殖に成功御木本幸吉が英虞湾で真珠養殖に成功し、世界に新しい宝飾産業をつくった。■ 1900〜1960年代:沿岸地域の黄金期英虞湾一帯には最大1000軒を超える養殖場が並び、地域は活気に満ちていた。真珠は日本の輸出産業として繁栄し、世界のブランドを支えた。■ 1990年代以降:衰退の波海外との競合、後継者不足、高齢化、設備の老朽化。養殖場は廃業し、沿岸には「空き家化した海辺インフラ」が残された。英虞湾周辺だけでも、その数は300以上に及ぶ。3. 英虞湾の“課題”は、実は世界共通の課題老朽化した海辺インフラ、複雑な権利関係、後継者不足。英虞湾で見える課題は、日本だけでなく、アジア、ヨーロッパ、世界中の沿岸地域が直面しているものです。だからこそ、この海で解決できるモデルには、世界へ広がる再現性がある。ここが、うみらぼの挑戦の出発点です。4. 私の実家の養殖場が廃墟になった──課題との“私的接点”英虞湾の一角に、私の実家の真珠養殖場があります。数十年放置され、朽ち果て、誰も近づかない場所になっていました。「この場所は、もう役目を終えたのだろうか?」そう思いながらも、私はここで育ち、ここから多くを学びました。廃墟となった光景には、どうしても向き合わざるを得ない“個人的な痛み”がありました。これが、うみらぼを始めるきっかけでした。5. 再生への挑戦──廃墟が、人の集まる場に変わった瞬間全国の仲間に声をかけ、3年間かけて修復し、廃墟だった場所は、海辺のリトリート(宿泊施設)として生まれ変わりました。ここで生まれるのは、ただの観光体験ではありません。自然の中での滞在海を前にした対話新しいアイデアの発火海洋産業の未来について考える場「海辺の課題は、海辺で考える」この哲学が、うみらぼの核になっています。6. 次のフェーズ──海辺が“実証フィールド”に変わり始めたリトリートに続き、2棟目となる「マリンテックインキュベーションラボ」の整備が進んでいます。ここでは、海中ドローン自動運転船スマート養殖海上農業海洋ロボティクス海洋データ活用教育プログラムなど、多様な技術・人材・研究が英虞湾に集まり始めています。英虞湾は、かつて真珠の実験場だった。そして今は、次世代の海洋技術の実験場になりつつある。7. マリンテックは、真珠の100年後に来る“次の海洋産業の灯火”真珠、牡蠣、観光。英虞湾は何度も新しい産業の舞台になってきました。そして今世界では、ブルーエコノミー(海洋経済)が2030年に3兆ドルの産業へ成長すると見込まれています。海洋AI・ロボティクス、スマート養殖はその中心です。英虞湾で起きていることは、単なる地域の取り組みではなく、“世界の海洋産業の前線”でもあるのです。8. うみらぼの未来──Open Ocean Sandboxの構想300ある空き家化した養殖場を、再生しながら新しい産業に変えていく。私たちはこのモデルを Open Ocean Sandbox (OOS)と呼んでいます。1棟目:滞在・対話・リトリート2棟目:研究・実証・共創ラボ3棟目以降:養殖、農業、アート、教育、飲食、別荘、ワークスペース…全てが海上でネットワーク将来は自動運転船で移動する海上都市へ英虞湾が、海洋産業の新しいシリコンバレーになる未来を描いています。9. なぜ、うみらぼならできるのか?理由は3つです。実家の再生から始まる“現場起点のノウハウ”地域との深い信頼関係という参入障壁全国のマリンテック企業・研究者が集まるネットワークこれは一朝一夕でつくれるものではありません。再生には時間も汗も必要で、だからこそ模倣が難しい。10. おわりに──100年前、英虞湾は産業を生んだ。100年後も、それができる。100年前、英虞湾は世界の真珠産業をつくった。そして今、世界の海洋産業が大きく動こうとしている。課題は資源に変えられる。廃墟は未来の産業の母体になれる。海は、もう一度産業を生み出す。うみらぼは、“海から次の100年の産業を生む”その物語を、志摩から始めています。